Hoterの日記

日々の徒然を気ままに記録しています

ツールドおきなわ 2014 レース当日

4時過ぎには起床、5時半までには朝食を食べ終える。

朝食は昨日スーパーで買ってきたジューシーひとパックと昨日売りに来てたのを捕まえて買った焼き芋2本とヨーグルト。

炭水化物は充分だろう。


スタート地点までは宿から自走で5分くらい。

市民50kmの集合より前に到着して場所取りしておいた。

3列目くらいだったけど、スタートが近くなるにつれて有力トコロが入ってくるんで10列目くらい?がスタート位置。充分に先頭も見えます。

エトナの土居さんはほぼ先頭付近に陣取る。周りの面々を見るに有名人ばかりで緊張しそうなのに。自分の位置ですら奥さんにそんなところで大丈夫か?周りに迷惑かけるなと心配されましたが。

でも、今回は強い心で前方に位置どるんです。


まあスタートで前の方がクリートキャッチ失敗したり、スタート台を避けたりするために結構後ろまで下がってせっかく並んだのに〜と思うも、それでも昨年よりもまだ前のほうです。

最初に出場した時には、リアルスタートじゃないのにやたら速いな〜と焦りましたが、いまは特にそれほど驚きもせず無問題です。

気持ちよく本部半島を周って、晴れだったのにちょっと雨も降ったかな?ちょっと向い風も強めだったので集団もそれほど高速にはならず、ちゅら海水族館の坂も以前はもっと急だったと思ったのですが拍子抜けで通過。

今帰仁あたりはあの白石真吾とずっと並走しておりました。白石君の近くに居れば問題無かろう。オーベストの西谷さんもすぐそばにいるし。



58号手前の海岸線に出るところで例年通りまた前方で落車。道が狭くなるところなので危険なのですが、10名ほどは落車したおかげで完全に道が塞がって前と切れました。

そこからまた今年も全開走行がしばし続いて58号までに集団復帰。かないませんな。

動けない方もいらしたのですが、ごめんなさい見捨てていかないと。



58号に出てすぐにオーベストの西谷さんがパンクで路肩にバイクを寄せたのを見る。BOSSでもそんなことがあるんだ。

58号はいつもなら40km/hオーバーで集団が進むのですが、あまりの向い風でたまに25km/hほどになったり、ほとんど集団サイクリング状態。集団内に居る分には楽々なんですが、先頭は大変そう。あと集団の左端、つまり海岸線沿いに居たのですが、雨なのか波しぶきなのか分からない飛沫が降り注いでました。ワケ分からない天候。

なるしまの奈良さんやその他なるしま勢がいたのでそのあたりなら問題なさそう?周りの方々格上過ぎるな〜と呑気に構えて、BREZZA勢も見つけては挨拶しに行ったり、わりと集団内では気楽に過ごせました。

普久川の登りまでにもう少し前に上がりたかったですが、みな思うところは一緒なので仕方が無い。昨年よりは50番手ほど前で登り始めたはず。だから集団についていた時間もほんの少しだけ長くなりましたが、やはり2つ目の勾配変化のところで千切れました。

途中で村田さんに追い越されたので暫くして再度追い越したのですが、どうやら意地で再度追い越されてこれに着いていけず。補給所付近で村田さん含む前の集団になんとか追いつきたかったのですが、下りまでには追いつけませんでした。ここが今回の唯一の悔やむところ。

下り始めてSHIDOの中尾君が10名ほどの集団を形成、当の中尾君に話をしたら今年新たな仕事を始めたせいかイマイチのようで来年頑張るらしいですが、あまり前には出て来てくれませんでした。

それでもこの小集団では中尾君含む3名ほどが少し抜けている感じ。自分がその次くらい。

なぜか土居さんが独りで前から降って来たので吸収、声をかけて前の集団を追ってくれましたが、いつのまにかここからもドロップしたようです。どうやらメカトラブルで遅れてしまったよう。



西海岸に出て追い風の中をローテ回して進みますが、自分またもやケツが痛くなってきてあまりローテ回せなくなって後方待機。

早く与那来ないかな〜と願った登り口まであと2㎞ほどの地点で、いきなり前走者がハスったのか2名ほど落車。いつもなら避けられそうですが、バイクが横に流れてきて進路を塞がれて間に合わず乗りあげて自分も前転して落車。

落車した瞬間に両脚ハムストが攣って一時動けなくなったが、回復してバイクをみれば前ホイールのスポークが2本リムを割って抜けていて完全に走行不能になりました。あとの落車した2名ほどはすぐに復帰した模様。自分だけが貰い落車で取り残されました。

機材車が来る訳でもなく、もう仕方ないのでDNFを近くで観戦していた地元の方に宣言、本部に連絡を取ってもらって回収してもらうことになりました。それでも回収車に乗るまで1時間近く待ってたかな。

その後ろのいくつかの集団、すでに個人走の方々を寂しく見送るのみです。しかし地元の方に親切にしてもらって助かりました。

2度目の与那の関門では奥さんが応援していたそうですが、いつまで経っても通過しないことに何か察してゴール地点に先回り。自分より先にゴール地点に運ばれたバイクのホイールを見て何事かを知ったようです。



回収車は普久川の関門まで行って、そこでも選手を載せて名護まで直行。名護市内の58号はまだ交通規制中なので、回収車も渋滞の中、ゴールに向かって通過していく完走できた選手を見送りました。

皆さんここまで大変でしたでしょうが、ゴールまでの10kmはかなりの追い風だったので気分よく速度に乗ってゴールまで駆け抜けたことでしょう。羨ましい限りでした。



怪我は肘の擦過傷くらいでまるで大したことはなかったのですが、ZIPP202の前輪が逝ってしまったのと、なにより完走・完走できなくても地力がどこまであったのかを知る術無く終わったのが残念でなりません。

落車寸前まで一緒に走っていた選手の何名かは何とか完走しているようなので、あれがほぼ最終便だったのですね。乗り続けられたかは分かりませんが、たらればを思ってしまいます。

残り100kmのアップダウン区間を走らずに終わったので疲労感もほとんどありませんでした。過去最低の結果になりましたね。


  • 115km地点で落車によるDNF